目標が手段に変わるときのお話
大学での1年留学。
それは、中学生だった私の憧れ。高校生だった私の目標でした。
大学1年生の冬にトロント大学への交換留学が決まった時、私はとても達成感がありました。
なぜなら目標への権利を手に入れ、留学が達成されることはほとんど確実だと思っていたからです。
しかし、当たり前ではあるけれど、実際はそうではありませんでした。
日本の大学から行けるように認められただけであって、まだトロント大学に受け入れてもらった訳ではないのでやることはたくさんあります。
出願書、なぜトロント大学で学びたいのかを綴ったエッセイの提出、渡航のための事務的な手続きなど…
カナダに入国し、トロント大学に足を踏み入れた9月、私はまたもや留学できた!と思ってしまいました。でも実は、これもまた始まりでしかありませんでした。
8ヶ月が経ち、留学が終わって。
このときは、留学が終わった、目標が達成された、とは私は感じませんでした。
確かに目標であった留学生活は幕を閉じましたが、これからこれをどう活かすのか、トロント大学での生活や学び、姿勢を日本に帰ってからどう維持し、自分から抜けないようにするのかについて考えることが多くなりました。
今までは目標を達成するごとに自分を褒めてきたのにも関わらず、今回は留学を終えて自分が止まってしまうのではないか、そうならないように、これからも成長し続けたいと思いました。
どうして過去思考を抜け出し、そのような考えを持ったのかについては、ポジティブな動機もあれば、ネガティブな理由もあります。
初めはネガティブな考えが多かったのではないかと今振り返ると思います。
まずは英語力。トロントでは当たり前のように英語で暮らしていたけれど、日本に帰ったらそのような環境はなくなる。
英語力が落ちるのではないか、とまず不安になりました。
また、学ぶことに対する意欲やトロント大学で学んできたこと自体についても、忘れてしまわないか、と不安になりました。
なぜ不安になるかというと、忘れたくないような素敵なこと、大変なこと、自分を成長させるような出来事ばかりだったからですね。量も多いですし全て覚えている自信は正直ありません。
また、自分の生き方に対する考え方や勉学に対する姿勢もこの1年でよくなったな、と感じました。日本に戻って、その姿勢も失われないか、
ここで過ごした一年が無くならないか、と不安だったのです。
ですが、ここでうじうじ不安がっているだけでは何も変わりません。
そのため、次に上の不安が起こらないためには、また最小限に抑えるためにはどうすれば良いかを考え始めました。ここからはポジティブです笑
まず、英語力を下げないために何をすれば良いのか。
・資格を定期的に受ける(RLW)
・動画やラジオを活用する
・友人とコンタクトを取り続ける。
読むことを続けなければ、文を理解する能力、そして読むスピードも低下します。そのため、英検やTOEICの取得をすることにし、現在も勉強をしています。
リスニングや英語で情報を得るためにも、動画やラジオを活用しようと思いました。実はこれは1月にロックダウンで誰とも話せなかった時期に実践していたことでもあります。
当時についてはこちらに記しています↓
1番大事だと思うのが、友人とコンタクトを取り続けるということです。
英語力の面でいうと、時々ではあっても電話やビデオ通話をすることで、自分の日常会話をする機会になります。
そして何よりも、仲良くなり、お互い大変な一年を乗り越えた友人とはずっと繋がっていきたいです。
ということで私は、友人と時間を合わせては、電話をよくしています。
これからもっと忙しくなっていきますが、電話の時間は必ず確保したいです。
と、本題ではないところが長くなってしまいましたが、留学を終えた今、私にとって留学は完全に目標ではなく、目標を達成したという意識もありません。
むしろ、将来の夢の実現のための手段にいつの間にかなっていたように思います。
目標が手段に変わる。
それは、今まで登ろうとしていた階段の一歩を登り終え、そこを通過することによって次の段を登ることに繋がります。
目標であるので、もちろんその段は大きく、登っている間は次の段など見えません。もしくは遠目にしか見えません。
その段自体を登り終えても、階段は続きます。
今回の私のように、すぐに次の段を登り始める時もあります。
一段登って満足し、一息つくのもありでしょう。
しかし、そこからまた次の段を見て私たちはさらに次の目標に向かって進んでいくのではないか。
私も早速次の階段に取り掛かっています。
これから留学に行こうとしている皆さんには少し早いお話ではありますが、皆さんも私と同じように感じる時が来るのではと思います。
また、留学に限らず、今まで目指していたものを達成したばかりの皆さんも、通じることがあれば嬉しいです。
そのようなことを感じた留学生活の終わりでした。